ヒノコ~寺谷~皆子山~皆子谷~ヒノコ(山行) 20240608

ヒノコ~寺谷~皆子山(971.3m)~皆子谷~ヒノコ

ヒノコから寺谷出合まで歩いてみたい。寺谷の記憶がかなり薄いので、先人の跡をしっかり踏みしめたい。そんな思いで山行を計画した。

ヒノコから京都北山修道院の前を通り、百井川沿いに寺谷へと向かう。

林道をしばらく歩くと、川から一段上がった所に池がある。オナガに似た小鳥を水辺で見かける。

池の周囲には作業小屋や手作りのトイレがある。

池から先はひどく荒れている。まずは林道の崩落箇所を慎重に歩く。

つぎは台風と伐採で倒された木が折り重なり林道をふさぐ。倒木は一箇所あたりが長く、繰り返し現れて大苦戦する。通過後、振り返り写す。

やっとのことで皆子谷出合まで来て、ホッと一息つく。

美しい皆子谷に見入っていると、大変だった難所のことがスッと頭から離れる。

皆子谷出合から直ぐ、百井川に沿って小さな支尾根を越していると対岸に林道が見え隠れする。支尾根を越して美しい安曇川源流部まで下りる。右岸へと徒渉できそうな所を探してみるが、ざぶんざぶんと浸かりそうな箇所ばかりで辺りをうろうろする。

一歩だけ膝下までざぶんと浸かれば渡れそうな所があったので意を固める。そしてロングスパッツの効果大で濡れずに済んだ。振り返ると何てことのない徒渉箇所に見える。

林道に上がって林道終点を確認すべく、寺谷ではなく反対へと戻る。3分ほどで林道終点に着く。

「起点」「安曇川」と彫り込まれた石標が林道脇に佇む。寺谷出合はまだ百井川で、その少し下流域、ここからが安曇川とされている。

石標の横に「昭和47年竣工 滋賀県南部森林組合」とある朽ちかけた木の標識が立つ。この林道ができるまで、便利ではないが趣きのある道程だったのだろうか。

さて寺谷へと林道を歩く。途中、河原の広い所から対岸を望む。

川幅が狭くなり、寺谷に近づく。

美しい流れが目にはいる。

さらに進むと寺谷橋が現れてしまう。寺谷を通り過ごしてしまった。

50年余りの歴史を物語る橋。

橋を渡るとすぐ、寺谷迂回路の標識が斜面の取付きに立っている。迂回はしない。

橋を戻り、林道から少し離れた繁みの裏、その対岸に寺谷出合がひっそりと佇む。長年、荒れることなく登山者を静かに迎え、そして静かに送り出すなんとも真に美しい場所である。

2003年発刊の山と渓谷社「京都北山」に掲載の写真では、ここに梯子状の木橋が架かっていた。いまは無くなって木片があちこちにある。

徒渉しようとしたが、花を開かせたスミレに足が止まる。

寺谷のすぐ近くで、良い具合に飛石があり安曇川を渡る。

寺谷の取付きの灌木に、少し色あせた黄テープが巻かれている。京都北山の登山道のテープは、黄色がしっくりくると勝手ながら思う。

寺谷が無造作に迎え入れてくれる。

よくある谷の風景に映るが、ここに立てばまったく違った感動につつまれる。この辺りで左岸を上ると登山道があり、寺谷迂回路らしき道が下につづく。

登山道は寺谷から離れることなく、美しい風景のなかを上る。

KITWVと書かれた標識が、P941へと真っ直ぐ北に上がる谷を指している。近くにはKITWV小屋と書かれた標識も落ちていて気に掛かる。

美しい寺谷をさらに上る。

左岸に小屋の崩れた跡があった。随分ぜいたくな場所に建てたものだ。2003年発刊の「京都北山」には、半壊の小屋と記載されていた。

【後日追記】1981年 京都山歩会 渡辺歩京氏 発刊の「北山の道」によると、この小屋の主と三条京阪のバス乗り場で偶然に会われ、息子を穂高で亡くし、その付近に小屋を建てようと思ったが、許可が出ないので代わりに寺谷に建てたと、胸が詰まる思いで聞いたと記されている。

さらに上ると、突然、姿を見せる。こんなに美しい造形の木は初めて出会う。その体に多様な植物を住まわせ、この谷に鎮座する。

次は、水の流れが寺谷を飾る。

そして、ずっとここに在るであろう大きな岩と小さな滝が現れる。

いよいよ、ここを登れば皆子山の山頂域に出る。

最後は灌木を四つん這いで分け出て山頂域に…、60代半ばの女性2人組と目があった。繁みの地面スレスレから顔だけがひょっこり出てきて笑いを堪えたことだろう。

立ち上がる間もなく、東尾根はここからですか?と別の方を指して聞かれ、立ち上がり確認してから、ハイッと返した。山なれた感じのお二人で、芦火谷口に車を置いて芦火谷~ツボクリ谷~皆子山を来られた。ツボクリ谷では流れに落ちたけど楽しかったとケラケラと笑われている。流石!この後、東尾根を平集落まで下りて、車までは旧街道を歩くとのこと。芦火谷、尾越、ヒノコなどのワードは通じなかったが、山を愛し続けてられる感じがとてもいい。元気を一杯もらった。

写真の右のわずかな隙間が寺谷へ、真ん中は東尾根へ、左は北尾根へ、そして写ってはいないが、さらに右は皆子谷へと向かう。ここは皆子山銀座である。振り返り、山頂へと歩きだす。

皆子山山頂に到達、銀座から徒歩3分である。

この山頂には、山頂の良さがすべてあるように思う。

武奈ヶ岳の絶景ポイントから少しずらせた所で弁当を広げる。これまでどれだけの山好きが、この描写に心やすらいだだろうか。

銀座に戻って南尾根を少し下り、坂がゆるやかになった所から右の皆子谷へ斜面を下りる。この地点を過ぎてしまったが、戻ると色褪せたテープが巻かれていた。

斜面の途中で、皆子谷を一望する。

皆子谷に入る。この辺りから水が枯れはじめている。このシンボルツリーの左方向から下りてきた。

皆子谷を下ると石垣の一部が左岸、そして右岸とつづけて現れる。炭焼小屋跡かも知れない。

P889から北を廻って東に流れる谷が寺谷に出合う。なぜかここから急に踏み跡がはっきりと付きだす。

幹まわり約6mの巨大な杉がその体を天高く突き上げ、千手観音の如く手を広げる。

皆子谷出合に近づくと、右岸を上り林道へと続く道に上がる。

ここからヒノコまで、帰りも倒木と格闘すること40分余り、2時間は経ったかと感じるほどクタクタになった。ここを過ぎると大丈夫、何事も無かったかのように池が静かに迎える。

無事、ヒノコに戻る。寺谷に宿る京都北山を愛した人々の思い。今もそのまま残るのは奇跡的にさえ思え、とても嬉しい。峠道こそないけれど、皆子山に寺谷あり!

花脊原地~鍋谷峠~片波山~鍋谷山(山行) 20240518

杉の古木を楽しみに鍋谷山~片波山の山域を訪ねた。名著「北山の峠」(上)鍋谷峠の項を参考に、まずは花脊原地から鍋谷峠を目指す。

原地~ナベ谷~鍋谷峠~片波山(763.1m)~鍋谷峠~鍋谷山(859m)~鍋谷峠~原地

花脊原地から大堰川に架かる橋を渡って直ぐ、右へカーブした先にカブを止める。

原地側のナベ谷に向かう林道のチェーンをまたぐ。鍋谷峠を挟んで花脊原地町、京北片波町の東西両側にナベ谷という名の谷がある。

林道を奥へと進む。

谷が分かれる所から林道が荒れる。右股へと進んで倒木をまたぎ、そして潜りナベ谷沿いの林道を歩く。

地図読みに適した明確な地形のため、鍋谷峠に登る斜面まですんなりと着いた。しかし取付きがわからない。とりあえず登る。

すぐに明瞭な踏み跡を見つける。

朝の木漏れ日のなか登りつづける。シジュウカラの合唱が響き、カッコウの鳴き声がこだまする。

稜線の光が差し込むとすぐ、砂防堤のような人工的なものが現れる。この上が鍋谷峠だった。

南北につづく尾根の鞍部にある鍋谷峠、尾根に沿って両側に林道がバッサリ切り拓かれている。右の尾根が鍋谷山、左の尾根が片波山、乗越すと京北片波町へ向かう。

約50年前の鍋谷峠、今はその面影も薄い。(写真引用)

片波山の北尾根に取り付くと直ぐ、巨大な杉に圧倒される。

50mも進まないうちに、またどっしりと佇んでいる。

つぎつぎと姿を現わしてくれる。すぐ近くまで植林地が迫るが多くの古木が残る。過去、幾度か伐採の危機があってもおかしくはないが、いまなお立派に迎えてくれる。近隣の里の人たちの思いが有難い。

途中、開けた所から迫りくる山々を眺める。(北西方向)

美しい尾根をさらに登る。

山頂が近づいてもなお、朝の光を浴びる古木が迎えてくれる。

片波山の山頂に着く。2.5万図では山頂を少し離れた所から南南東の花脊大布施(おふせ)に流れ込む湯船谷から付いたのか湯槽山(ゆぶねざん)と表記されている。金久昌業氏によると、片波山という呼び名は北山パイオニアの一人、森本次男氏が片波の里から命名したと「山と高原地図」(1981年発行)の解説に記している。確かに片波側の方が森が豊かに見え、植林は今も丁寧に手入れされている。加えて言うとナベ谷も片波側はその名の通り大きな鍋底の形に見える。しかし原地側はそうでもない。鍋谷峠につづく谷だから、後からその名が付いたのではないだろうか。この山域はどちらかと言うと片波側が色濃く映る。

山頂に転がっていた西陣山の会18周年登山の大きなプレートを立てて写す。何年前のものか「北山の自然を…」あと3文字が消えていた。大切に?守ろう?何れにせよ北山愛を感じるプレートだった。

山頂で清々しい上空を眺め、鍋谷峠へと戻る。

もと来た道を戻るときは、少し地図読みの気が緩む。案の定、山頂から別の尾根を下りはじめた。あれっ、登りでは見かけなかった岩が誤りを教えてくれる。山頂部に戻り、今度は慎重に下る。

鍋谷峠に戻ると次は鍋谷山を目指して、そのまま北の尾根に取り付く。片波の植林が迫る。

鞍部に差し掛かると眺望が開け、晴天のもと鍋谷山が姿を現す。…と同時に茫然とする。切り開かれた林道があらわになり、取り付きに大型のショベルカーが停められている。

鍋谷山から東に延びる稜線まで、ずっとこの柵沿いを登る。

古木が上空に手を広げる。

尾根の西側斜面に古木がチラホラと見えるが、立入禁止の樹木テープが尾根に沿って延々と張られ、耳障りな音を立て風になびいている。

樹木テープと木の柵にはさまれ、公園の遊歩道を歩かされている感覚に陥る。…がしかし、美しい造形の古木がその存在感で語りかけてくる。

稜線に着き、西へと方向を変えて鍋谷山の山頂を目指す。美しい風景のなかを歩む。

山頂に近づくとイワカガミの群生があちこちで目立ちはじめる。

イワカガミのちっちゃな新芽が愛らしい。

鍋谷山の山頂に着く。山頂部は狭く木々や下草が生い茂っている。山頂に近づくにつれ踏み跡が薄くなり、一部ブッシュのなかを歩いた。稜線までは整備されていたので意外だったが、ありのままの姿が残っていてホッとする。

山頂から稜線を戻る。

ハエをずっと追い払いながら弁当を広げる一幕を終え、柵伝いに尾根を下る。林道越しに東が開ける。

一旦、鞍部まで下ると林道に挟まれた尾根を鍋谷峠まで登り下りする気力が萎え、左手の原地側林道を歩く。

鍋谷峠から斜面を下ると、この斜面の取付きがわかった。倒木の先に隠れていた。

原地の里に近づき、ナベ谷の美しい流れで帰り支度をする。

里山と林道、仕方ないとは思うが林道開発で峠の面影が薄れゆくのは、やはり寂しい。わずか50年余りの間に…。古木達は燦然と佇んでいる。

大悲山峰定寺~俵坂峠~峰床山~オグロ坂峠~八丁平~フノ坂(山行)20240511

北山クラブ金久昌業氏の調査・執筆による1981年発行の昭文社山と高原地図 京都北山(ニ)」、その解説にある大悲山口から峰床山を目指す。

大悲山峰定寺~俵坂峠~峰床山(969.9m)~オグロ坂峠~八丁平~フノ坂~P927~俵坂峠~大悲山峰定寺

峰定寺付近、美山荘ヨコの林道ゲートのチェーンをまたぎ寺谷川沿いに東へと歩く。

寺谷との分岐を過ぎ、さらに東へとナメラ谷の美しい流れに沿って林道を歩く。

ナメラ谷の林道終点の手前に「俵坂歩道」の橋がある。歩道という言葉に安心して渡り明瞭な道へと進む。

しかしこれが災い、ここで行ったり来たりと迷う…。しかし道迷いするとオマケもある。今回はナメラ谷の「野鳥の森」なる場所に迷い込んでいた。小鳥の澄んだ鳴き声にしばし耳を傾ける。

さて地図読み再開、俵坂歩道の橋を渡って右の谷沿いの細い道に入る。

すぐに俵坂峠に直登する支尾根にあたり作業道が左右に分かれる。左の作業道を約5分歩くと、急な支尾根を登るつづら折れの登山道に入る。

山と高原地図の解説で「しっかりしたよい道なのになぜか峰床登山にはあまり用いられていない。大いに利用されることをお薦めしたい。」と記されるよい道が残る。

登りはじめて30分足らずだが、心地好い場所に休憩できる木組みがあり思わず腰を下ろし喉を潤す。

新緑につつまれた静かな支尾根で心やすらぐ。

最後、右の東南東に進路を変えて詰めると小ナメラ谷から続く林道にいったん出る。その一段上が俵坂峠である。

俵坂峠、峰床山の南尾根の鞍部にある。左が峰床山、右はチセロ山、乗越すと尾越に向かう。

床山へとつづく尾根が美しい。

尾根は久多からの林道に、いったん遮られる。

すぐに取付き、稜線まで登りきると見晴らし台がある。

皆子山(971.3m)の絶景!東西につらなる稜線が空に映える。

春の陽気いっぱい、空をおおう木々が少なくなり、いよいよ山頂は近い。

床山の山頂

京都北山を遥か先まで見わたす。(南西方向)

オグロ坂峠を目指し、美しい東尾根を下る。

静かに凛と佇む、オグロ坂峠

クマザサ繁る約50年前のオグロ坂峠(写真引用)    

峠を南に歩き、八丁平の湿原で弁当を広げる。春の陽気のなか時おり小鳥たちが飛びかう。

小川のせせらぎが心地好い。

フノ坂を目指して橋をわたる。大好きな風景…。

美しい風景のなか、橋をわたったあと右に折れる。

湿原を守る木道を振り返る。

左の道から歩いてきた。ここで左に折れてフノ坂に入る。

フノ坂のピークで右に折れ、峰床山の南尾根を目指して登る。

南尾根まで登ると、もと来た道で俵坂峠につく。

ここで右に折れ、ナメラ谷の林道へと支尾根を下る。途中、振り返ると、自然林から杉の植林地に変わる様がクッキリと照らされて美しい。

林道を歩き峰定寺まで戻ると、寺谷川に下りて顔を洗い、靴とストックの泥を洗い流して帰り支度をする。

今回の山行では4人の人と出会った。50代の男性、60代の男性、50代の女性、研究者風の60代の男性、年齢は推測だが何れも単独行の人にしか会わなかった。そのうち坊村から鎌倉山を経て来られた兵庫県の50代の男性は「こんなにいい山なのに何で皆、武奈ばかり行くんでしょうねぇ」とチセロ山へ向かって行った。最もだと言ってはみたけれど、北山に武奈の喧騒は似つかわしくない。これでいいのだ…。

芹生~三ノ谷~雲取山~雲取山北峰~ハタカリ峠~寺山峠~860地点~一ノ谷~芹生(山行) 20240502

花脊峠への林道分岐にある芹生ロッジ付近にカブを止め、雲取山の三ノ谷出合を目指す。

芹生~三ノ谷~雲取山(911m)~雲取山北峰(910m)~雲取峠~ハタカリ峠~地蔵杉山(899m)~寺山峠~860地点~一ノ谷~芹生

芹生から三ノ谷に向かう林道沿いの自然林が美しい。

直径約40cmの杉も圧巻の林立

三ノ谷を目指して林道を上る。林道沿いにクリンソウの群生があったが花はまだ。

林道は一ノ谷の流れにぶつかる。その約20m手前にある左手のゲートから三ノ谷に北へ入る。

三ノ谷は残念ながら林道だったが谷は美しい。しばらく林道を上って右に現れた谷に入る。

美しく歩きやすい谷を遡る。

なんとも気持ちの良い谷

流れに見入ってしまう。

新緑の空を見上げる。

四本杉の所で、さらに右の谷に入り、いよいよ雲取山の頂を目指す。

谷はすこし様相を変える。

この谷では早くもクリンソウが咲いている。

谷がまさに華やぐ。頂上まで、あとひと登り。

木々にほど良く囲まれた明るく美しい雲取山の山頂でひと息つく。1966年に遭難された方のケルンを見て、十数年前に花脊別所から登ったことを思い出した。気を引き締め直して先へと向かう。

雲取峠の広場に出る所で、雲取山北峰の標識があった。北峰?以前来たときはピークの一つと思い通りすぎたが、北峰に立ってみたい…。雰囲気の良い登山道に期待がふくらむ。

標識から10分足らずで雲取山北峰に着く。久しぶりに感動する爽快な山頂。目の前には今から歩く稜線、右奥は滝谷山、遥か先には比良山系が連なる。

山頂の若い木立には小鳥が多く、数種類の鳴き声に包まれる。

ここで長居がしたくなり、まだ10時だが弁当を広げる。

ようやく腰を上げて、雲取山北峰を下りると直ぐに雲取峠、竹次谷の方に小屋がある。

京府大WV りょうぶの小屋、かなり傷んでいるけれど煙突は真新しい。

雲取峠に戻りハタカリ峠を目指し尾根に乗る。ここも美しい道が続く。

ハタカリ峠、「北山の峠」で著者の金久昌業氏は、峠の一ノ谷側に古道がはっきりと残るので、別所と山国を結んだのではなかろうかと推察した峠である。(一ノ谷側から撮影)

ハタカリ峠のすぐ東から稜線に乗って寺山峠に向かう。一旦、稜線を離れて地蔵杉山に登る。木々がうっそうと茂る山頂でお地蔵さんを探したが見当たらなかった。

稜線に戻って直ぐ、大きな小屋がある。

京都産業大学 凌雪荘、綺麗に手入れされている。

静かな稜線を歩く。

ヤッホーポイントなる場所、小声でヤッホーとつぶやく。

一ノ谷側から見る趣きある寺山峠、しかし向こう側は残念ながら林道がバッサリ横断している。

寺山峠から南南西に続く稜線を歩いた後、この谷で下りる。急に標識が無くなったので、一旦、先に進み様子を見るが戻りこの谷を西に下る。

すぐに植林地となる。

右手の谷から、一ノ谷に下り立つ。

振り向いて、左からのニノ谷と一ノ谷との出合を撮る。

近くの貴船界隈は蝶やトンボの宝庫と聞く。珍しい種類なら嬉しいとトンボを撮るが名前はわからない。

美しい流れが続く。

三ノ谷に近づいた所にもクリンソウが咲いている。

林道をテクテク歩いて芹生ロッジまで戻ると北山歩きの相棒、カブが健気にじっと待っている。

山間部の静かな道路に現れた貴船神社の人混みを、カブですり抜け家路に着いた。

 

瓢箪崩山~寒谷峠~坂原峠~箕ノ裏ケ岳(山行)20240428

左京区岩倉の北域を取り囲む山々を歩いた。瓢箪崩山は十数年振り、箕ノ裏ケ岳は初めてなので、地図読みを楽しみに山に入った。

岩倉花園町~トトギ池~瓢箪崩山(532m)~寒谷峠~坂原峠~箕ノ裏ケ岳(432m)~権土池~岩倉実相院

【地図読み6時間半】

岩倉長谷町から箕ノ裏ケ岳の眺め

長谷八幡宮で山行の安全を祈念

岩倉花園町から山道に入り、トトギ池でスイッチバックし登り始める。

小鳥がさえずる中、朝の木洩れ日を浴びて心地好い道を歩む。

木々の間から横高山、水井山が顔をのぞかせる。

瓢箪崩山の静かで美しい山頂、途中、出会ったのは地元の男性一人。

飛騨池がある岩倉長谷町への道に少し下りて寒谷峠を振り返る。もっとも峠らしい趣きが残る。

さて、いよいよ此処から地図読みの醍醐味と思いきや、岩倉北消防分団の活躍がめざましい。箕ノ裏ケ岳まで細やかな標識(看板)がずっと続く。

遠くに花折峠からナッチョを繋ぐ稜線が美しく連なる。

幾つかの登り下りを経て、ようやく箕ノ裏ケ岳が晴れやかに姿を見せる。

坂原峠でランチをと考えていたが、ここは静原共同墓地の入口であった。先へと斜面を登る。

箕ノ裏ケ岳が目前の小ピークでコンロに火を入れる。山でポツンと腰を下ろして過ごす。小鳥の鳴き声と風にさらさら揺れる葉音に包まれたこのひと時がいい。

明るく広い箕ノ裏ケ岳の山頂

山頂から美しい木々のトンネルを抜けて街へと下りていく。

岩倉を一望できるこの山のシンボル的な大きい岩

岩の上より

歩いた瓢箪崩山の山並みを振り返る。よく歩いたなといつも思う。

そして繁見坂につづく林道に出会う。ここが箕ノ裏ケ岳の取付き。

岩倉北域の山行を終えた。道も標識も整備され歩きやすかった。大木には出会えなかったが、繁見坂でリスとイソヒヨドリを観察できた。今日もまた、生活のために切り開かれた山道の跡を歩かせてもらった。

 

MOVIX京都 あまろっく(映画) 20240427

朝からカブに乗ってMOVIX京都へ行く。この映画館の受付の人たちはいつも気持ちよく対応してくれるのでとても嬉しい。

「人生で起こることは何でも楽しまな!」尼崎ハートフルコメディ作品

江口のり子(近松優子)、中条あやみ(継母・近松早希)、笑福亭鶴瓶(父・近松竜太郎)、松尾諭(父・若い頃)、中村ゆり(母・近松愛子)、駿河太郎(同級生・太一)、佐川満男(職人・鉄蔵)、中林大樹(見合い相手・広樹)、原案・企画・監督:中村和宏、脚本:西井史子、ネタバレあります。

京大出身の優子は会社でも成績優秀で表彰されるが、協調性がなくて理不尽にもリストラされる。脳天気な父はリストラおめでとうの横断幕を玄関に張り優子を賑やかに迎える。

何をする気にもなれず怠惰な日々を過ごす。

川でボートの練習をする学生たちを見つめる優子。

同級生 太一の屋台で、リストラされたこと、父が賑やかに迎えたことをグチる。しかし太一は、一緒にしょんぼりされたら余計みじめやないかと言い、お前は昔から邪魔者やったからと深い思いやりで言い放つ。

そんな頃、19年前に妻を亡くした父の再婚相手がやって来る。その相手は二十歳だった…。

優子は家族団欒を押しつける真逆の性格の早希と衝突を繰り返す。団欒の字も書けんくせにと優子は心の中でツッコム。

あいだに挟まれた父は、こんな顔

早希は暴力的な父、家に男を連れ込む母のもとで育ち、家族団欒の家庭に憧れた。そんな時、いつも勤務先の市役所にやって来る明るく人気者の町工場の社長 竜太郎に想いを寄せるようになる。早希が育った家庭環境を初めて知る優子。

しかし悲劇はすぐに訪れる。父は健康管理せねばと始めたジョギング中、雷にうたれ亡くなる。

父はかつて阪神大震災で近隣の救助に奔走したが助けられなかった多くの命を思い深く落ち込んだ。そしてこれを機に、残された人間が「人生に起こることは何でも楽しまな!」の日々を過ごすこととした。優子は脳天気に見えた父の大きさを知る。

一方で早希は母として優子に幸せになってもらいたいと、同じ京大出身のエリート社員 広樹とのお見合いをすすめるも優子は写真を見ずに破り捨てる。

広樹も仕事一筋で見合いは無理矢理で乗り気ではない。しかし見合い写真を凝視する。学生時代に想いを寄せたボート部の花形 優子だった。

広樹は、普段は気丈だがレースに勝ったのに影で泣いていた優子に魅かれた。優子は母を亡くした直後だったからと語る。数回会った頃、広樹は海外赴任に一緒に来てほしいとプロポーズする。

早希の妊娠を知った優子は、早希と産まれてくる子供の側に居てやろうとプロポーズを断る。もはや2人は家族となっていた。

そして一年後…。優子は早希の子を背負い父のように賑やかに社長として工場を切り盛りしている。職人たちは親父さんにそっくりだと微笑む。(今月亡くなった佐川満男さん)早希は営業、広樹は新人の工員として働いていた。ラストはオープニングシーンの優子と早希、2人の花嫁がウェディングドレスで神父に歩み寄る所で幕を閉じる。

「食うて寝たらたいがいの事は何とかなるわ」父は、尼崎を水害から守る尼崎閘門(こうもん)、通称あまろっくの如く、何もなければ動かないがどっしりと家を守る人。映画は人情が熱く面白く描かれ、普段の会話でのツッコミ、小ネタがいい。特に優子の変化を演じきった江口のり子さんの素晴らしいお芝居に引き寄せられた。

「人生で起こることは何でも楽しまな!」(完)

カマス橋~P759~P822~六地谷(山行)20240420

百井集落からヒノコ小屋に向かう途中、滝谷山の東に広がる念願の山域に足を踏み入れる。

カマス橋~P759~P822~六地谷(陸地谷)~カマス橋【地図読み5時間】

カマス橋を越えた所からP759の東尾根に取付く。

基本、動物の踏み跡しか無いが、所々ハッキリとした道となっている。

P759、ピークには標を付けたくなるけれど、無いのがまたいい。

芽吹きを待つ木々、遥か北へとつづく京都北山

P822から六地谷へと南に向かう谷の源頭部、とても穏やかな場所

標なきP822、ケルンだけがひっそりと佇む。その先に滝谷山の頂がそびえる。名も無きピークにある北山らしい風景に心やすらぐ。

源頭部に戻りランチタイム、コンロに火を入れる。

P822の東寄りから南尾根の東にあるやせ尾根を南へ下りる。しばらくして歩きにくくなると、南尾根との間の谷(源頭部でランチした谷)を下りる。

想像と異なり歩き好い美しい谷だった。

六地谷に出合い、六地谷上流を眺める。ここから東を向いて下流へと進む。この出合から水量が更に豊かになる。

六地谷は倒木はあるものの想像に反してトラバースも無く、歩き好い谷を下った。しかしこの上流部や大雨の後などは状況が一変するかも知れない。

この山域で動物以外に出会うことを期待していなかったが、六地谷で中高生10名余りを引き連れた青年リーダー風の男女が遡ってきた。中高生たちは徒渉の際、危うい足取りで顔を引き吊らせつつもキャッキャと騒いでいる。北山のコアな場所で楽しむ若い人たち、じんわりとした喜びに包まれ、久しぶりの山行を終えた。